
前代表取締役葛岡洋右の先代葛岡米次郎夫婦が、現在地において終戦直後よりうなぎ食堂を開業し、高価な料理と考えられていたうなぎ料理を一般大衆に安く提供し終戦当時の食料不足、栄養不足をいくばくでも補い得るなれば幸であるとの立場から周囲の反対を押し切って断行し、「君故に今日また、うなぎくわんかな」の看板をかかげて好評を拍した。 昭和28年業務の発展によりこれを会社組織となし「合資会社喜久川」を設立、葛岡米次郎自らその代表社員となった。
然し、類似的な商号を名乗るものが現れ、且つ葛岡米次郎逝去后、会社を更に発展せしめる目的と、古きものから脱皮を行うという固い決意をなした葛岡洋右は会社を株式会社にし商号も株式会社 神田きくかわと改め代表取締役に就任し、特に産地との連携を 深め更に販売店にも画期的名意欲を示し、着々とその業績をあげた。
